壮絶なつわりで退院してからは徐々に食べられるようになってきました。
出産まで続く唾液の変な感じ(すっぱいようなとにかく不快な感覚でした)は
ずっと続いていたので、今まで好きだったものが突如食べられなくなったり、
食べられるもの、食べたいものの好みの変化は相当なものでしたが、母子ともに
元気でいられてとても充実した日々でした。
お腹のあかちゃんの動きも胎動として伝わってくるようになりました。
始めはうにょうにょしたような感覚でしたが、次第にキックもするようになりました。
あんまり動くので私は「ポコちゃん」と言って呼び掛けていました。
気になる性別は診察の度に「よくわからないなあ」と言われました。
義理の母は「多分男の子よ!男の子がいいよ!女の子は可愛いだけで何の役にも
立たないから男の子がいいよ」と事ある度に電話してきて言ってました。
姑と電話を切るとなんだか忌々しい気持ちによく襲われました。(このことは
後日書くことができれば書きたいと思います)
でも、私もこの頃はずっと男の子がいい!と思っていました。
私自身も、女として生まれてきて、女同士のややこしさも経験してきてるので
そんな苦労を生まれてくる赤ちゃんには経験させたくなかったのです。
それに女の子だったら事件に巻き込まれたり、心配がずっと絶えないので
本当に女の子ではなく、男の子だったらな。。。とずっとそう思っていました。
ある日、今でもはっきり覚えているんですが寝ている時に夢で女の子を出産
してしまい、ショックで泣いている夢をみました。
スピリチュアルではお腹の中の子はハッキリ意思があり、自分の性別も生まれる
環境も親も全部自分で決めてくるそうです。
そこで、お腹の赤ちゃんに聞いてみました。
「ポコちゃんは男の子?」⇒ しーん
「ポコちゃんは女の子?」⇒ トントンとお腹を蹴ってきました。
いやいや嘘でしょ?そう思いながらまた同じ質問をしても、同じ結果でした。
私は気のせいだろうし、何かの間違いだろうとなかなか認めることができません
でした。
でも、出産してみて思います。男でも女でも無事生まれてくれればそんなこと
もうどうでもよくなるんですよね。なんであの時あんなにこだわっていたのか
不思議に思うくらいです。今は女の子でよかったな。と思います。
子ども自身がいつも「私女に生まれて良かった~」と言っていますし、同性同士
なので遊び方や接し方も男の子よりわかってあげられるからです。
もっと大きくなったらお喋りも楽しくなってきたりするのかもしれません。
妊娠6か月の終わりから7か月にかけてよくランチの食べ歩きをしていました。
電車にのって千葉から都内まで行って食べたいものを食べていました。
この頃はすこぶる体調もよくて、独身時代のどの時よりも元気でした。
今思えば子どもの元気も加わって人並みの元気な状態でいられたのかなと
思います。とにかく身軽にひょいひょい動けるので動き回り、そして疲れ
ないのです。今までの私には考えられない体力でした。
そんなこんなであっという間に8か月を迎えたころ、里帰り出産するならば
飛行機に乗れなくなるかもしれないからと早めに実家へ帰省することになりました。
帰省すると更に暇になりました。何もすることがないので、掃除機をかけたり
ひたすら実家の家事をしていました。久しぶりの帰省では私は親子姉妹と仲良く
できないのか、妹と喧嘩をしたり親と言い合ったりであまり精神的にはゆったりと
した日々を過ごすことができませんでしたが、母は精いっぱいサポートしてくれて
いました。
出産する病院を決め(希望の病院は金銭的な理由で断念しました)通院するように
なって妊娠9か月を迎えたころ、先生から「羊水が徐々に減って来ています。このまま
では危ないので入院してください」と言われました。
すこしパニックになりながらも入院準備をすることにしました。
つづく