40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

妊娠から出産まで-3

 壮絶なつわりで退院してからは徐々に食べられるようになってきました。

出産まで続く唾液の変な感じ(すっぱいようなとにかく不快な感覚でした)は

ずっと続いていたので、今まで好きだったものが突如食べられなくなったり、

食べられるもの、食べたいものの好みの変化は相当なものでしたが、母子ともに

元気でいられてとても充実した日々でした。

お腹のあかちゃんの動きも胎動として伝わってくるようになりました。

始めはうにょうにょしたような感覚でしたが、次第にキックもするようになりました。

あんまり動くので私は「ポコちゃん」と言って呼び掛けていました。

気になる性別は診察の度に「よくわからないなあ」と言われました。

義理の母は「多分男の子よ!男の子がいいよ!女の子は可愛いだけで何の役にも

立たないから男の子がいいよ」と事ある度に電話してきて言ってました。

姑と電話を切るとなんだか忌々しい気持ちによく襲われました。(このことは

後日書くことができれば書きたいと思います)

でも、私もこの頃はずっと男の子がいい!と思っていました。

私自身も、女として生まれてきて、女同士のややこしさも経験してきてるので

そんな苦労を生まれてくる赤ちゃんには経験させたくなかったのです。

それに女の子だったら事件に巻き込まれたり、心配がずっと絶えないので

本当に女の子ではなく、男の子だったらな。。。とずっとそう思っていました。

ある日、今でもはっきり覚えているんですが寝ている時に夢で女の子を出産

してしまい、ショックで泣いている夢をみました。

スピリチュアルではお腹の中の子はハッキリ意思があり、自分の性別も生まれる

環境も親も全部自分で決めてくるそうです。

そこで、お腹の赤ちゃんに聞いてみました。

「ポコちゃんは男の子?」⇒ しーん

「ポコちゃんは女の子?」⇒ トントンとお腹を蹴ってきました。

いやいや嘘でしょ?そう思いながらまた同じ質問をしても、同じ結果でした。

私は気のせいだろうし、何かの間違いだろうとなかなか認めることができません

でした。

でも、出産してみて思います。男でも女でも無事生まれてくれればそんなこと

もうどうでもよくなるんですよね。なんであの時あんなにこだわっていたのか

不思議に思うくらいです。今は女の子でよかったな。と思います。

子ども自身がいつも「私女に生まれて良かった~」と言っていますし、同性同士

なので遊び方や接し方も男の子よりわかってあげられるからです。

もっと大きくなったらお喋りも楽しくなってきたりするのかもしれません。

妊娠6か月の終わりから7か月にかけてよくランチの食べ歩きをしていました。

電車にのって千葉から都内まで行って食べたいものを食べていました。

この頃はすこぶる体調もよくて、独身時代のどの時よりも元気でした。

今思えば子どもの元気も加わって人並みの元気な状態でいられたのかなと

思います。とにかく身軽にひょいひょい動けるので動き回り、そして疲れ

ないのです。今までの私には考えられない体力でした。

 

そんなこんなであっという間に8か月を迎えたころ、里帰り出産するならば

飛行機に乗れなくなるかもしれないからと早めに実家へ帰省することになりました。

帰省すると更に暇になりました。何もすることがないので、掃除機をかけたり

ひたすら実家の家事をしていました。久しぶりの帰省では私は親子姉妹と仲良く

できないのか、妹と喧嘩をしたり親と言い合ったりであまり精神的にはゆったりと

した日々を過ごすことができませんでしたが、母は精いっぱいサポートしてくれて

いました。

出産する病院を決め(希望の病院は金銭的な理由で断念しました)通院するように

なって妊娠9か月を迎えたころ、先生から「羊水が徐々に減って来ています。このまま

では危ないので入院してください」と言われました。

すこしパニックになりながらも入院準備をすることにしました。

 

つづく

妊娠から出産まで-2

なぜこんなにつわりがひどいのか先生に聞いてみたら、下垂体切除をしていることと

関係があるようです。

薬の量を多くしないと私の身体が負けてしまい乗り切れなくなるとのことでした。

ずっと何も食べず、点滴も打てなかった数週間は薬の量を増やすことでなんとか

乗り切れたのかもしれません。

それでも具合の悪さは治まらず、夜消灯になった時にこらえきれずによく泣きました。

これ以上何をがんばったらいいのかわからないくらいきつくてつらかったです。

そんな時に実家から両親が見舞いに来てくれました。

父は「がんばりきれないなら一秒がんばれ!一秒だけならなんとかがんばれるから

と言ってくれた言葉が妙に心に染みておいおい泣いた記憶があります。

そんな苦しさも妊娠4か月と5か月が一番ひどかったです。

毎日つらすぎて母にメールを送っていました。もうだれかにこのつらさを分かって

欲しかったし、病院へ来るのは週に一回旦那さんだけだったのでさみしかったのも

あります。なんだかんだ言っても母はやっぱり母なんだなと思います。

毎日毎日しんどいメールをよこしてくる娘の相手をするのもとてもしんどかった

だろうなと今はよくわかります。

毎日のようにベットで足が浮いたようなふわふわした感覚に陥ってしまい、

どうにもならないのでよく看護師さんに足湯をしてもらったり、マッサージを

してもらいました。

シャワーなんか浴びられず、髪の毛も週に1回洗髪してもらっていましたが、ついに

シャンプー台で気急に具合が悪くなり気絶してしまいました。

私はシャンプーで泡だらけの髪のまま、病室のベットに運ばれ、しばらくすると意識が

戻りましたが、その日はそのまま泡を頭につけたまま寝ました。

そして、ついに目の前のトイレにさえ歩いて行くことができず、車椅子でトイレまで

連れて行ってもらうしかなくなりました。ただひたすら胃液を吐いて・・・泣いての

繰り返しでしたが、そんな日々も妊娠6か月を迎える頃にはつわりがだんだん軽く

なっていきました。

お腹の子どもの心配な状況は成長とともにだんだん穴のようなものも小さくなって

いってましたが、まだ心臓や肺への影響も考えられ予断が許されない状況でした。

そして、6か月を迎える頃には身体の成長に比例して穴は小さくなって最後は消えて

無くなってくれました!

安定期とともに本当に本当に安心しました。

6か月目に入るころ、私は病棟内を歩けるようになり、病院食も食べられる程

回復していました。ただ、口の唾液のすっぱいなんとも言えない感じがずっと

残っていて、出産する日まで続きました。

いよいよ退院する日が来た時本当にうれしかったです。こんな日が来るとは

つらい日々には想像もできませんでしたが、献身的に支えて下さった看護師さん

達には本当に頭が下がる思いでいっぱいでした。

                               つづく

妊娠から出産するまで

紹介状をもらってすぐに大学病院へ受診しました。

この時からすでにつわりが始まっており、何か口に入れたら吐き気がして

食べられるものもだんだん減ってきてました。

初診で体外受精一回で妊娠した旨を話したらびっくりされていました。

それだけ私は運がよかったんだなとしみじみ思いました。

両家の両親へ妊娠の報告をしたら、本当に喜んでくれました。

実家の母もつわり普通にあったようで、「こんな早い時期からあるわけないよー」

なんてまるで私が気のせいかのような事を言うので私も(まだまだ本当のつわりは

こんなものじゃないんだ)と思い込んでいました。

初診からすぐに通院が始まったにも関わらず、私は本当に嘔吐するようになってきて

旦那さんが付きそうタクシーの中でも吐き気との闘いでした。

診察で即入院となりました。妊娠悪阻(オソ)というそうです。

私は気も動転しましたが同時にホッとしました。

入院生活は妊娠2か月から5か月が終わる頃までになりました。

そして私にとっては壮絶なつわり生活のスタートとなりました。

入院してからすでに何も食べられない状態だったのですが、看護師さんに

「なんでもいいから口にできるものがあれば買ってくるから言ってね」と言われ

恐る恐るコーラだけは唯一飲めそうだと話すと即買ってきてくれました。

今はカフェインだとか炭酸だとか赤ちゃんの影響を考えなくていいから。。

とのことでした。とは言っても(コーラ大丈夫かな)と心配になったものです。

しかし、水さえも受け付けられないので恐る恐る飲むことにしました。

この頃から強烈に感じるようになったものは匂いでした。

 なぜなのかわかりませんが、旦那さんの匂いと特定の看護師さんの匂い

をどうしても受け付けられなくて、病室に来る20メートル前辺りから

匂いでわかるほどでした。

旦那さんは週末の土日に病室へ必要なものなどを届けてきてくれるのですが、

手渡しで受け取ったものでさえ匂いをすごく感じてしまいました。

犬は人間よりも嗅覚が優れていますが、この時の私も犬並みだったと思います。

そして嘔吐もどんどん頻繁になってきました。

同じフロアにある診察室で受診する時でさえ、嘔吐していました。

先生は「お腹の子どもはお母さんの状況の関わらず元気ですねー」と言って

くれてたんですが、妊娠3か月目あたりから「子どものお腹に穴みたいな

ものができてますので注意して診ていきましょう」と言われるようになりました。

子どもに何かあって生まれてきたらと思うと本当に不安でした。

入院して1週間ほどして持病の薬が底をついてきたので、初めて内分泌の先生に

診てもらうことになりました。

血液検査の結果を見て先生方が緊急会議をしてしまうほど、数値が悪かったようです。

看護師さんも血相を変えて「具合悪くないですか?!」としきりに聞いてきましたが、

(いや、悪いよ、悪すぎてやばいよ。)って突っ込みそうになりました。

そんなこんなで、薬の調整も入るようになりました。

大量の薬を飲むことになり、私は赤ちゃんへの影響が本当に心配でした。

先生に聞いても「でも必要なものだから」としか言ってくれませんでした。

嘔吐もどんどんエスカレートして、歯磨きができなくなったので止めました。

点滴も体中の水分不足と栄養不足で血管に入らなくなったので、そこにカテーテル

を通していつでも点滴ができるようパイプのようなものを通そうとなりました。

ですが、いざ手術室で処置して頂いても、カテーテルさえはいらないほどの細い

血管になっていました。もうどうしようもないな。。。そんな感じでした。

 

                             つづく

不妊治療-3

頭を殴られるような頭痛はその後も続き、よっぽど鎮痛剤を飲もうかと思いましたが

もしかしたら妊娠しているかもしれないと思うと飲むことはできませんでした。

頭痛がするようになった同じ頃からに食べ物が食べられなくなりました。

やたらムカムカするし、自分の唾液がなんだか変な感じでどうにもならない感じでした。なんとか食べられるものを。。と探しておやつ昆布と干し梅あたりを食べていました。それから3日間耐え、産婦人科の検診に行ったら「おめでとうございます」と

先生に言われました。不妊治療を始めて1年半になっていました。

私はまだまだ早い段階で授かっている方だと思います。

たった1年半だけど、とても苦しかったです。

ずっと「できない」を経験して、時間も精神的にもそして金銭的にも(ここが限界かな)と思っていましたので、「今回だめだったらもう諦めよう」とほぼ決めていました。

結婚して2年過ぎて喧嘩もいっぱいして(本当にお互いに結婚してよかったのかな)

なんて思う日々だったので、結婚生活も解消しようかと悩んでいました。

なので今回もし妊娠していなければ結婚さえも解消しようと一人考えていました。

移植してほどなくしてひどい頭痛があって、この時(もしかして)とはじめて

思いましたが、本当に自分が妊娠したと知った時にただ茫然となっていました。

先生からは「これから大学病院へ紹介状を書きますのでなるべく早く予約して行ってください」と言われました。

無知すぎた私は「え?」となっていましたが、先生は「ここから先は一般の病院では診てくれないと思いますよ」と言われました。

胚盤胞まで育ってくれた残りの3つの卵たちは1年間(詳しい日数は覚えてません)

凍結保存してくれて、その後は更新の連絡がなければ処分することになりました。

私は持病もあるし、年齢的なこともあるので二人目はもう望んでいませんでしたが、

せっかく育ってくれた命の行く末はずっと気になっていました。

 病院の帰り道、自分のことなのにあまりにも実感が湧かなくて他人事のような感じで

ボーっとしていました。授かったってことは、旦那さんと別れないように

神様がしてくれたのかな。ってぼんやり考えていました。

大学病院はすぐに予約を入れて初診でかかることになりました。

 

 

 

不妊治療-2

妊娠について私は大きく誤解していました。

妊娠は望めばいつでもできると誤解していました。私だけだと思っていましたが、

周りの友達も同じ感覚の人が何人もいました。

私達世代の親は一般的に子どもに性教育をしないのが普通でしたし、周りも学校も

雄しべと雌しべが・・の類だけでしたから、妊娠にも年齢的なリミットがあるなんて

私は想像もつきませんでした。

卵巣も歳をとるし、卵子だって質が変わるんだってことを、子どもを育てるにも

年齢的に無理がきく年齢があるんだってことを知っていれば!と何度も思いました。

子どもはそのうちほしいけど、今はいいかな~なんて考えてる人がいたら参考に

なればなと思います。

 

体外受精ですが、体外受精と顕微授精と2種類あるんですね。

私は体外受精をスタートすることにしました。

採卵の前々日に排卵誘発剤を投与され、いよいよ採卵日となりました。

私は19個採卵できたよ。と報告を受けました。

その採卵があまりにも痛くて痛くて終わったころには起き上がれず、

旦那さんが一緒にいましたがどうやって帰ったか覚えていません。

翌日まで起き上がれず寝込んでた記憶があります。

19個のうち無事授精したのは11個でした。

私の年齢的なことも考えて、授精した卵を胚培養して胚盤胞まで育てた

ものを着床させた方がいいんじゃないかと言われました。

ただ、胚盤胞まで育つ受精卵がどれだけ残っているか。。

もしかしたらゼロの可能性もあると言われました。

考えるまでもなく、私は胚盤胞まで育ててもらってからの着床を希望しました。

数日経ち胚盤胞まで無事に進んだ卵は4つでした。

なんだか命の奇跡を見ているようですごく感動しました。

その4つの中で一番グレードがよいものを着床させましょう!ということに

なりました。

 

いよいよ胚移植の日となりました。痛み等はなかったのですが、ずっと祈る気持ちで臨みました。

移植から一週間もしないうちに私はひどい頭痛に襲われました。バットで頭を殴られているようなそんな痛みでした。

そして妊娠が判定しました。体外受精1回で妊娠だなんて奇跡だと思いました。

 

 

 

 

不妊治療

私は下垂体切除しているので、以前より医療の力を借りて妊娠は可能と聞いていました。

結婚しても(子どもを産むことや育てることは私にできないかもしれない・・)

とずっと思っていたので、当初子どもをつくることは考えていませんでしたし、

旦那さんもそれは承知してくれていたのかと思っていました。

しかし、旦那さんは子どもは欲しいと言うのです!

結婚する前に何も話し合わず、またもや自分の都合のいいように解釈していた

自分にもびっくりしました!(この都合のよい思い込みは数知れず・・・)

一度「養子縁組で赤ちゃんを迎え入れるにはどうかな?」と聞いたことがありますが、それについてはきっぱり否定されました。

私はその時血のつながりがなくても子どもを育て家族として過ごすことが大事だと思っていたので、養子縁組について違和感はありませんでした。それだけ子どもを授かることにも自信がなかったのです。

でも、時が経つにつれて(この人の子ども産んであげたいな)⇒(私と旦那さんの生活に子どもがいないなんてありえないな)と思うようになってきました。

そして結婚して一年経った頃、かかりつけの病院で不妊治療をすることにしました。

いろいろ調べて臨んだことではなく、いつものごとく丸腰で何も考えずに病院へかかりました。

そこではホルモン補充しながらのタイミング療法から始まりました。

年齢は当時36歳になるころだったので、もう高齢出産になります。

(こんなタイミング療法からスタートしてはたして妊娠するだろうか。。。)

漠然とした不安がありました。

タイミング療法を始めて半年近く経つ頃にはもうあきらめモードになっていました。

しょっちゅう通わなければいけない通院や、体調がなんだか変わってしまう&痛い

注射や薬の投与、そしてなんかどんよりした気持ちになってしまう病院の待合室に

もうんざりした気持ちになっていました。

こんな気持ちの時に小さい子や赤ちゃんなんか病院で見かけた日には胸をギューっと

つかまれるような気持ちになったりもしました。なんだか涙まで出てきたりして、(私には一生子ども授からないんじゃないか)・・そんな気持ちにもなりました。

半年経とうとする頃に千葉県へ引っ越しをすることになり、病院も変わりました。

病院はかかりつけの病院からの紹介でした。

よくテレビなんかで聞く有名な総合病院です。

ここで本格的に検査をしました。

もう何種類検査をしたのか覚えていませんが、私が一番しんどかったのは卵管造影でした。

子宮の奥が本当に痛くて痛くて唸っている私とは別に、同じ検査を数名の方もされていたのに、皆さん検査をしてスタスタ帰って行かれるので個人差があるのかなと思います。

20分ほど横になってから起き上がってヨロヨロ帰ったのを覚えています。

結果、異常らしいものは何もなかったのでホッとしました。

その後はタイミング療法を飛ばして人工授精から試してみましたが、上手く

いきませんでした。不妊治療を始めて一年経とうとしていました。

 

この頃不妊治療の本も何冊か読んでいましたが、たまたま読んでいた本を出版された

クリニックが千葉にあることを知り、調べたら不妊治療で有名なクリニックだということも知りました。

家からも近くアクセスも今までより楽になるし、直感的に(ここなら私も授かるかもしれない)と思ったので即転院しました。

そのクリニックは「高橋ウィメンズクリニック」です。

 

予約を取って行ってびっくりしましたが、待合室から人が溢れるほどの患者さん

で本当に驚きました。

(みんな赤ちゃん欲しくて頑張っているんだ。全員授かるといいな)そんなことを

考えていました。

不妊治療専門の病院だけあって説明もとても詳しくしてくれました。

総合病院と個人病院の違いもあるのかもしれませんが、専門の病院だけあって

とても詳しく説明してくれました。

不妊治療には冷えは大敵のようです。私は本当に冷えがひどかったので、早速漢方薬を処方されました。

それを飲むようになって冷えもだいぶ楽になりました。

検査は前の病院のデータをもらってくることでなんとかパスさせてもらいました。

始めに人工授精からスタートしましたが、やはりダメだったので、体外受精をする

ことになりました。

(つづく)

オイルの効能

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遅ればせながら今年初めてキャスターオイルの存在を知りました!

キャスターオイル=ヒマシ油

ヒマシ油といえば、エドガーケーシーさんが有名ですが、ヒマシ油で温湿布パックを

進められています。

私は直接塗る方法しか実践していませんが、

【布にたっぷりのヒマシ油に浸し、その上から温めると良いようです。(ベタベタ

するのでラップなど上から充てておくと良いようです。)】

効果については本当にいろいろあるようで、精神的にも良いという記事もありました!

アマゾンに温湿布キットが販売されていました。

Amazon | ひまし油湿布セット 遠赤ホットパック付 | おなか本舗 | マッサージ・アロマ

 

直接塗るだけでも効果を実感していますが、近いうちに温湿布もやってみようかな

と思います。

ヒマシ油も精製方法からいろいろと種類があるようですが、初心者の私は

あってどれがいいのかよくわからずとりあえず購入したのですが、立派に役に立って

くれています!

驚いたのは旦那さんの皮膚がきれいになったことでした!

就寝前に塗って寝るだけのことしかしていなかったので驚きました!

旦那さんは結婚してからストレス(私なのか)からか、足の指付近が

いつも被れていて皮膚科通いが続いてましたが、試しにススメてみたら

翌朝には「これすごいね!」と明るい声で報告してくれました。

手も赤く被れていたのが、就寝前に塗って手袋をはめて寝たところすこぶる調子が良いようです!

私は首に小さなイボがいくつもありましたが、毎晩塗って寝ていたら、心なしか少しずつ数が少なくなってきているような感じです。

そして、長年シミにも悩まされているのでこちらも毎晩就寝前に塗るようにして

いますが、シミが根深いのかこれだけはまだよくわかりません(;^_^A

そうそう、そんなすごい「キャスターオイル」にも欠点があるようです。

どうやら日光を浴びると酸化しやすいので、日が当たらない所へ保管するのと、

外出するときはオイルを落とした方がいいみたいです。

私達家族が今まで使っていたのはこちらです↓

www.amazon.co.jp

 キャスターオイルは割と重めのテクスチャーのため、本当に少量で

試してみられるといいと思います。

私は無印のホホバオイルと混ぜて塗っています。

我が家もなくなりかけたので追加注文しようと思い調べてて、【低温圧搾】

ものが良いようなので、(効果の違いについてはよくわかりませんが)

今後はこちらを探して購入してみたいと思います。