40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

障がい者手帳

脳下垂体を切除して右目を失明し、極端な視野狭窄になったことを案じた父が

障がい者手帳の申請をしてくれました。

当時私はすでに18歳になっていましたが、無事取得できた時に父は安堵した様子で「これで大丈夫!」と言っていました。

私は当時多感な思春期真っただ中がまだまだ抜け切れていない時期で、バスの乗車や

地下鉄の定期作成時に半額になることを知っていながらも障がい者手帳を見せて

購入することに大変な躊躇いがあり、しばらく何年かは普通運賃で乗車していました。

バスなど乗り物以外に映画鑑賞も半額で行けることを知っていながら友達と普通に

購入して行っていました。。

とにかくことごとくこの障がい者手帳を使用することにとまどいを持ち、恥とさえ

思っていた自分でしたが、何年か前に職業安定所の障害担当の方が突然

障がい者で応募することに抵抗はありませんか?」と質問されてびっくりしたこと

があります。(結局この時も仕事することはありませんでした)

その方が言うには障害を持っていても、障がい者として仕事の斡旋をしてもらう

ことに抵抗を感じている人が結構いるようです。

あの時思っていた私の感覚と少なからず同じように思っている人もいるんだな

と感じました。

障害者として雇用される特別扱い感や、「私も普通の人たちと同じように働けるのに」という思いなど私も感じたことがあるのでわかります。

今の私は(それだけのハンデを負っているんだからいいじゃない)という気持ちに

シフトしていますが、みんなと同じじゃなきゃいやだ!の日本人特有の感覚なのかなあと思ったりもします。

仲のいい友達に話しているわけではありませんが、当然私が手帳を持っている

ことを知っています。にも関わらず手帳を出してしまうシチュエーションには

未だ少し抵抗があります。

こんな私の前で堂々とうつ病で手帳持っているから」と堂々となんの

躊躇もなく、交通機関を利用する度に使用していたママ友がいました!

この方は私のみならず誰にでも大っぴらに包み隠さずって感じでした。

実に潔くてかっこいい!!って思いました。

今まで私は何に対してこんな恥ていたのだろう。。そう思うとそんな自分が

逆に恥ずかしくなりました。

私もこんな風に堂々としていよう!と今はそう思います。

だって悪いことなんか何もしていないんですから。

持病について-5

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下垂体機能低下症は難病指定になっていることを私は妊娠するまで知りませんでした。

なので、とても法外な医療費を支払っていましたし、冷蔵保存の薬が

常温で普通の錠剤感覚で扱えるようになっていたことに気が付いたのは

つい5年前のことでした。

冷蔵保存の薬は持ち歩きが本当にいつも大変でした。

障害や持病を告知せずに働いたこともあったので、冷蔵保存の薬が

あることなど話することもなく、重いバッグに保冷剤を入れて出勤していました。

そんな生活を17年続けて出産後に薬が切り替わった時は本当に嬉しかったです。

ホルモンがないので普通自然に起こる第二次成長も薬で補います。

成長ホルモンの注射を止め、婦人科の薬を服用し始めたのが18歳の頃でした。

中学、高校と私は生理もなく、下着もみんなが付けている下着ではなかったので

体育の授業で着替えたりするのが本当に嫌でした。

ずっと胸がないのがコンプレックスでしたし、生理もなかったので

毎月ナプキンとも無縁だった自分が本当に嫌でした。

高校を卒業してから生理が来た時は本当にうれしかったです。

ただ、生理痛が激痛に近い感じで何も手につかない経験も初めて

だったからびっくりでした!

それから20年以上も生理時の激痛は続いており、寝込んだり

するくらいだったので最近になってようやく担当医が別の方法で

ホルモン療法をして下さることになりました。まだ上手く身体の

コントロールができていないので、完璧とはいえませんが、

あの激痛とはおさらばできそうです。

術後に一番困ったのは失明と視野が極端に狭窄されたことで

運転免許を所得できないことです。

未だに運転の仕方がわからないのに夢に出てきます。

本当は外回りの営業の仕事に就きたかったんですが、

運転免許がないと雇ってもらえません。

魅力的に思う仕事はどれも運転免許が必要な職種ばかりです。

だったら販売の仕事を。。と思って就業したことがありますが、

8時間以上の立ち仕事でとうとう身体を壊してしまい

医者に仕事を変えるよう言われたことがあります。

販売も事務の仕事も結局長続きせず転々としていました。

事務の仕事は本当に私に合っていないのか(ここから飛び出して

外に行きたい!)とつよく切望してしまう自分がいます。

一か所に留まって過ごすことは私にはどうやら向いてないようです。

そんな感じで一人暮らしを10年しましたが、やむなく

田舎の実家へ引き上げることになりました。

地元では尚更事務の仕事しかなかったのですが、派遣で

事務の仕事に就きました。

生活の心配もないし、なにより家族と一緒に過ごすのは

精神的にも安定できましたが、田舎は車社会のため本当に大変でした!

何度も自分の境遇を恨みました。

泣いたってどうしたって状況は変わりませんが、このような生活を

続けていくうちにどんどん卑屈になっていきました。

結婚前に仕事が見つかり上京できた時は本当に脱出できた!と

喜んでいましたが、やはりどこに行っても事務の仕事は私には

合わないようでした。

そんな感じで自分の境遇を恨んでばかりいましたが、

ある時何気に見ていたインターネットで、私の脳腫瘍は

突然できたものではなく、お腹の中にいるときからその片鱗があって、

大概は小学生の頃に脳腫瘍となり下垂体切除となるようだと知りました!

(私はこの境遇をわざわざ選んで生まれて来たんだ!)

そう思ったら、もう今までの恨みつらみが一気に解消されました。

スピリチュアルな話になりますが、私はこの身体になることを

生まれる前から自分の人生に組み込んだ上で、自分の人生を

いかにして謳歌していくかを試すために生まれてきたのかも

しれないなと今は思います。

子どもを妊娠してから今までずっと専業主婦をしていますが、

また働きたいと思っています。こんな何もない私になにができるのか

まだまだ模索中ですが、だれかの役に立ってそして(天職かもしれないな)

って思える仕事をしたいと思います。 

 

持病について-4

 

脳腫瘍になって手術を受けて思ったこと。。

腫瘍の手術を何回もしている人。手術室で手がつけられない状況になって

そのまま閉じられた人。私の隣のベットにいたご年配の女性はガンだった

ので(本人は最後まで知らされていませんでした)脳の手術が終わってすぐ

別の手術が行われました。

こうゆう状況に身を置いていると、片目を失明していたとしても

(私は全摘出できたんだからラッキーな部類なのかもしれない。)と

思わざるを得ない感じでした。

結局、失明については医師のメスが視神経に障ってしまって萎縮した

ために失明したとの説明を受けましたが、両親も私もそれについては

咎めることをしませんでした。

それから10年経ち、20年経った時に「なぜ何も訴えなかったの?」と

大変後悔したんですが仕方ないなと今は思います。

術後1か月で退院して自宅療養になりました。

 

下垂体機能低下症の説明等を両親は聞いてもあまりよく理解できて

いないようでしたし、私もどこか他人事のような感じで聞いていました。

劇的に生活が変わったのは尿崩症の薬として冷蔵保存の薬を6時間ごとに

投与しなければならないことでした。(私はいまだにこの尿崩症の薬の

コントロールが上手くできず苦労しています)

とにかくトイレが近いことへの恐怖が抜けきれず必要以上に使用してしまうので、

常に身体が浮腫みまくっている感じでした。

それと、身長が完全にストップしていたので成長ホルモンの注射を

毎晩皮下脂肪に注射することになりました。これにより、当時127㎝

だった身長が154㎝まで伸ばすことができました。

ホルモンの変わりに薬を処方してもらってますが、未だに身体のだるさは

続いています。ステロイドで血管も随分細くなったような気がします。

ですが、それ以降腫瘍の再発もない私はまだ幸せな方なんだと思います。

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セルフカット

コロナ禍で4月からセルフカットをしています。

今はだいぶ慣れては来ましたが、生まれて初めて髪の毛を切った時は

無駄に時間もかかり、冷や汗をかきまくってのカットでした。

YouTubeで何度も何度も研究をしていざ旦那さんとPoko(子ども)のカットを

試みましたが、やはり初めてでは上手くカットできませんでした。。。

長いpokoの髪のボリュームを取ろうとしたのですが、やっちゃいけない場所をやってしまい、現在に至ります。ボリュームは抑えられたものの、髪の毛をまとめると出てくるアホ毛に襟足の短い髪の毛たちに心の中で何度も(ごめん)しました。

旦那さんのは思い切りもみ上げを切りまくってまるで80年代の「テクノカット」になってしまいました( ;∀;)

無言の旦那に「髪短くなったね。。」とpoko

 

その後バリカンも購入し、旦那さんのカットが随分楽になりましたが、

調子に乗ってついに襟足から後頭部半分まで反り込みが入ってしまいました!

これは私も大量の冷や汗をかいてしまうくらいの失態でした。

いろいろ考えて「スーパーミリオンヘアー」をついに購入しました!

これは過去実家の父が禿げ隠しにと購入して使用していたのを垣間見たこと

があったからです。本当に上手に隠せているのでびっくりしたのを覚えて

います。

しかし旦那さんの場合、場所がてっぺんではないので時間とともにパラパラ

粉が落ちてきます(/ω\)

どうにかしなければ!!と考えたのが超ハードなタイプのヘアスプレーでした。

これでなんとかなりそう♪と思いましたが、季節は梅雨~夏だったので、

旦那さんが会社に行きつくまでには汗で流れ落ち、ワイシャツに黒い粉が

付いてしまっていたようでした。

そんな恥ずかしい状況から一か月経ち、もう梅雨明けするから使用できないね。

のタイミングでどうにか旦那さんの後頭部も元通りになりました。

私もしばらくヘルメット状態となり、帽子なしでは外に出かけられない状況でした。

美容師さんって偉大だな~(´;ω;`)

今まで気に入らないと不機嫌になることもあったけど、しみじみそう思いました。

 

その後も気を引き締めてカットを担当していますが、人の髪の量って左右非対称

なんだ。。と気が付きました。

たまたま私と旦那さんだけなのか知らないけどびっくりですよね!

左右でカットのやりやすさ、やりにくさもあるのでそれも関係あるのかな。

 

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改名するには -4

手続きの流れとしては

家庭裁判所へ申し立てをする。

   ↓ 許可が下りれば裁判所謄本をもらい(コピー保管しておく)

②市役所で戸籍の変更届をする。

 ↓ 変更完了したら、戸籍謄本、住民票の所得もまとめて済ませると便利

③保険証や各種名義変更する。

この3つです。

戸籍の変更までは約1か月かかったのかなといった感じでした。

改名は一度すると、もうやり直しがきかないのでその点だけは肝に銘じないと

いけないなと思いました。正直もう手続きはもうしたくないのでOKです。

 

名前の変更をして変わったのか?

私がいちばん(あー名前が変わったんだな)と思ったことは、保険証と

銀行の通帳の名前が変わったことでした。本当に実感できました。

結局自己満足になるんだろうけど、ずーっと何年もモヤモヤしていたので

とてもすっきりしました。心機一転頑張ろうと思うようになりました。

運勢的には画数が思い切り変わったのでもしかしたら何か変わったのかも

しれませんが、私自身は全く自覚なしです。

名前を付けて下さった両親の仲人夫妻には大変申し訳なかったなと

いう思いがまだありますが、これからは心機一転第二の人生をがんばります!

と気持ちの整理をつけました。

親姉妹にも報告しましたが、拍子抜けるほどあっさりしていました。

そんな親姉妹だからこそよかったのかもしれません。

 

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改名するには -3

裁判所謄本を持って次の手続きが待っていました。

  ②戸籍の変更届をする

もよりの市役所で戸籍の変更届ができます。

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必要なものは、

・名の変更届書

(私は事前に最寄の市役所の書式をダウンロードして記入しました) 

 ・戸籍全部事項証明書

(本籍地の区役所に届出る場合は不要とのことでした)

・印鑑

(その他、マイナンバーカードや運転免許証、保険証など念のため

用意しました)

家庭裁判所審判書謄本(確定証明書)

家庭裁判所でもらった書類です。原本提出のためコピーを取って保管しました)

以上を揃えて提出します。

 

私は本籍地が他県にあったので、手続き後最寄の市役所から

本籍地の市役所へ郵送され、そちらで受理されれば戸籍上

名前の変更が完了となります。

手続きに郵送でのやり取りを含め、10日前後かかると言われたので、

二週間待った後、本籍地の市役所へ問い合わせをして、

戸籍の変更が完了しているのかを確認しました。

 

③ 各種名前の変更手続き

私はこれが一番厄介でした!

これは二週間待っている間に事前に調べるべきでした!

ざっと考えただけでも

・保険証、

・銀行や郵便局の通帳カード、

・クレジットカード

が思い浮かびました。

取り急ぎこれらの変更を急ぐことにしました。

必要な書類として、

戸籍謄本

住民票 (名前の変更があったことを記載している)

を揃えました。

裁判所謄本の写し(裁判所からもらった書類のコピー)も必要でした。

実際使っただけでも、戸籍謄本は3通以上、住民票に至っては5通は

必要でした。

これから改名を考えていらっしゃる方はまとめて請求しておかれること

をおススメします!

保険証の手続きは私は旦那さんの扶養に入っているので、

旦那さんにお願いしました。なんだかんだと2か月近くかかって

ようやく完了しました!

銀行、郵便局の名義変更はあっさり一日で終わりました。

そして、私が一番厄介だなと感じたのはクレジットカードの

名義変更でした。

電話して変更の旨を伝える

 ↓

書類を送ってもらって記入後投函

 ↓

新しいカードの発行

と手順は単純なんですが、不備で戻ってきたり

追加で書類を記入したりしなければならず

その度にフリーコールへ問い合わせをし、イライラしながら

繋がるのを待って・・・と、いろいろと面倒でした。

そして未だに未完了です(´;ω;`)

カードもいくつか作っていたので、把握しておいた方がいいなと

思います。(自分よどこまで適当なのか。。。)

 

他には年金手帳の名義変更や、保険の名義変更、マイナンバーカード、

パスポートの名義変更もあります。

未だ手つかずのものもあります。

 (つづく)

改名するには-2

改名の続きです。

 そんな揺れ動く気持ちがしばらく続いていましたが、

実生活で(不便だな)と思うことも確かだったので、

思い切って手続きをしてみよう!ダメだったらその時は

この名前でいよう!と思い立ち改名手続きをすることにしました!

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改名するにはいくつか手順があります。

 

 家庭裁判所に申し立てをする。

 家庭裁判所に行く!ただそれだけでもハードルが高く感じます。

もう「えいやっ!」で乗り切るしかありません!

家庭裁判所には

・「名の変更許可申立書

収入印紙(800円分)

・郵便切手(80円切手 数枚程度)

・自分の戸籍謄本 1通

・添付資料

 を提出します。

私は添付資料の準備等何もしてこなかったんですが、

年賀状だけはずっと保管していたのでこの年賀状達と、

改名手続きを思い立った日から私宛に来たDMや新しい

名前が印字しているものすべて保管することにしました。

資料としては少なかったんですが、とにかく時系列に整理して

年賀状は分厚くなるのですべてコピーして準備しました。

家庭裁判所に連絡をしていざっ!

悪いことをしていないのに何故かビビりまくって出向きました。

提出して数分後に「後日連絡します」と言われ帰宅しました。

 それから1週間ちょっとした時に電話で連絡を受け、出向く

ことになりました。

裁判所へ行く道中まで(本当に改名しちゃっていいのかな。

なんか両親の仲人さんに申し訳ないな。)と今更ながら迷っていました。

 

到着後、係の方が案内してくれて担当者の部屋に通されました。

これまで改名をしようと思ったきっかけや、なぜ今回改名の

手続きをするに至ったのかの経緯を聞かれました。

きっかけとなった過去の思い出したくない出来事や、現状を話しました。

とてもしずかにやさしく聞いて下さいました。

それから5~10分後に再び呼び出されて、ついについに許可を頂きました!!

本当にこれから前向きに人生がスタートするかもしれないな!

そんな気持ちでした。

裁判所から最後に頂いた書類は「裁判所謄本という書類でした。

今度はこれを持ってお役所に行って手続きです。 (つづく)