40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

持病について-5

f:id:beyondsky:20201030103958j:plain

下垂体機能低下症は難病指定になっていることを私は妊娠するまで知りませんでした。

なので、とても法外な医療費を支払っていましたし、冷蔵保存の薬が

常温で普通の錠剤感覚で扱えるようになっていたことに気が付いたのは

つい5年前のことでした。

冷蔵保存の薬は持ち歩きが本当にいつも大変でした。

障害や持病を告知せずに働いたこともあったので、冷蔵保存の薬が

あることなど話することもなく、重いバッグに保冷剤を入れて出勤していました。

そんな生活を17年続けて出産後に薬が切り替わった時は本当に嬉しかったです。

ホルモンがないので普通自然に起こる第二次成長も薬で補います。

成長ホルモンの注射を止め、婦人科の薬を服用し始めたのが18歳の頃でした。

中学、高校と私は生理もなく、下着もみんなが付けている下着ではなかったので

体育の授業で着替えたりするのが本当に嫌でした。

ずっと胸がないのがコンプレックスでしたし、生理もなかったので

毎月ナプキンとも無縁だった自分が本当に嫌でした。

高校を卒業してから生理が来た時は本当にうれしかったです。

ただ、生理痛が激痛に近い感じで何も手につかない経験も初めて

だったからびっくりでした!

それから20年以上も生理時の激痛は続いており、寝込んだり

するくらいだったので最近になってようやく担当医が別の方法で

ホルモン療法をして下さることになりました。まだ上手く身体の

コントロールができていないので、完璧とはいえませんが、

あの激痛とはおさらばできそうです。

術後に一番困ったのは失明と視野が極端に狭窄されたことで

運転免許を所得できないことです。

未だに運転の仕方がわからないのに夢に出てきます。

本当は外回りの営業の仕事に就きたかったんですが、

運転免許がないと雇ってもらえません。

魅力的に思う仕事はどれも運転免許が必要な職種ばかりです。

だったら販売の仕事を。。と思って就業したことがありますが、

8時間以上の立ち仕事でとうとう身体を壊してしまい

医者に仕事を変えるよう言われたことがあります。

販売も事務の仕事も結局長続きせず転々としていました。

事務の仕事は本当に私に合っていないのか(ここから飛び出して

外に行きたい!)とつよく切望してしまう自分がいます。

一か所に留まって過ごすことは私にはどうやら向いてないようです。

そんな感じで一人暮らしを10年しましたが、やむなく

田舎の実家へ引き上げることになりました。

地元では尚更事務の仕事しかなかったのですが、派遣で

事務の仕事に就きました。

生活の心配もないし、なにより家族と一緒に過ごすのは

精神的にも安定できましたが、田舎は車社会のため本当に大変でした!

何度も自分の境遇を恨みました。

泣いたってどうしたって状況は変わりませんが、このような生活を

続けていくうちにどんどん卑屈になっていきました。

結婚前に仕事が見つかり上京できた時は本当に脱出できた!と

喜んでいましたが、やはりどこに行っても事務の仕事は私には

合わないようでした。

そんな感じで自分の境遇を恨んでばかりいましたが、

ある時何気に見ていたインターネットで、私の脳腫瘍は

突然できたものではなく、お腹の中にいるときからその片鱗があって、

大概は小学生の頃に脳腫瘍となり下垂体切除となるようだと知りました!

(私はこの境遇をわざわざ選んで生まれて来たんだ!)

そう思ったら、もう今までの恨みつらみが一気に解消されました。

スピリチュアルな話になりますが、私はこの身体になることを

生まれる前から自分の人生に組み込んだ上で、自分の人生を

いかにして謳歌していくかを試すために生まれてきたのかも

しれないなと今は思います。

子どもを妊娠してから今までずっと専業主婦をしていますが、

また働きたいと思っています。こんな何もない私になにができるのか

まだまだ模索中ですが、だれかの役に立ってそして(天職かもしれないな)

って思える仕事をしたいと思います。