40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

妊娠から出産まで-5

出産前に主治医と体調が戻るまで最大2週間の入院を検討してもらうことになっていました。

いざ出産すると、管轄が違ってくるからか主治医は積極的には関わってはくれず、

しかし血圧の異常な高さは続きました。

普段私の血圧は上が90ぐらいの低血圧ですが、この時は160ほどになっており、

看護師さんが「もう一回計測させてください」と毎度のように言われていました。

こんなにしんどいのに寝られない日々は続き、切られたお腹も痛いまま

赤ちゃんは2時間おきにミルクを与えのも本当にきつくて大変でした。

夜預かってもらうのも罪悪感でいっぱいでしたが、赤ちゃんがそばにいると気になって

気になってどうしようもなかったのでお願いしました。

子どもの誕生は本当にうれしいことだったのですが、自分の体調がここまで悪くなる

なんて思いもしなかったし、出産したらいきなりお母さんになる感覚に精神的について

いけてなかった感じです。

気になる母乳も初めから全く出ず、初乳さえ飲ませてあげられなかったことに対して

非常に申し訳なく思ったし、つらかったです。

実家に退院してしばらくお世話になる予定でしたが、実母にあまり頼れない感覚が

ずっとあったので、産後ゆっくりできないことなどを思うとこのまま入院していた方が

よいのか、早めに切り上げて退院した方がよいのか悩みました。

主治医は「一度お母さんに泊まってもらってください」と言われました。

母はもともと病弱で腰が重いタイプだったので、この話をしたときにすごく憤慨して

ましたが、しぶしぶ承諾してくれ、出産後5日目か6日目に一泊泊まってくれました。

いざ母が来ると、やっぱりいろいろ気を使うことも多くてゆっくりできない自分が

いましたが、赤ちゃんも一緒に3人で過ごすのは非常に心強かったです!

これは私も自分でびっくりでした。

(私もこうやって赤ちゃんだったんだな。こうやっておっぱいもらってたんだ。)

そう思うと涙が止まらなくなりました。私も口答えしたりしてたけど、生まれた時は

こんな無力で世話をしてもらわないと生きていけない存在だったんだ。としみじみ

感謝の気持ちも沸きました。

母が帰宅したあと、主治医に退院を早めてもらうことにしました。実家でゆっくり

させてもらえるのかわからないけど、とにかく帰ろうとおもいました。

子どもの名前は入院中も決まらず、旦那さんはついに名付けのプロに頼むと言いだしました。

私も名前の画数の重要性はなんとなく感じていたので、二つ返事でOKしました。

生まれた時2350グラムで保育器に入らないぎりぎりの体重だったポコちゃんも

ミルクも少しづつしか与えられなかったので一時的に減ったものの、退院する頃には

生まれた時より少し増えました。

手も足も小枝のように小さく細かったんだけど、よくバタバタ動いてとても元気な

ポコちゃん。五体満足で生まれてくるか本当に心配しましたが、どこも異常なくて

本当によかったです。

 

子どもを妊娠して出産するのはとても大変で尊いものだと思います。

私は出産するまでこんなに大変だとは露にも思いませんでした。

妊娠中にいろいろ心配なことが起こったり、私は38歳の高齢出産だったので

生まれてくる子どもがダウン症だったり、障害があったら・・・ととても心配

しました。

もし、事前検査でダウン症だったとしても産んで育てようと決めていたので検査は

受けませんでしたが生まれてくるまではやはり心配でした。

帝王切開をすることが決まり、当時の私のように不安を抱えていらっしゃる方もいるかもしれません。

手術は本当に恐怖だと思います。だけど不思議なことにわが子の産声を聞いたら

そんな恐怖はどこかへ消え去りますよ。

いざ出産したら自然と腹もくくれるものなので大丈夫ですよ。と伝えたいです。

母乳がでなくて苦しんでいるお母さんもいらっしゃると思います。

私も初乳から出なかったので、本当に苦しみましたが子どもは小さいながらも

すくすく育ってくれるので大丈夫ですよ。と伝えたいです。

高齢出産や基礎疾患をお持ちの方で産後体調が悪い方もいらっしゃると思います。

状況が許されるならば、一人でぜんぶ抱えないで周りにいっぱい頼られたらいいな

と思います。

いくら生まれて来た子どもが可愛くても、自分の身体がどうにもならなかったら

可愛がることなんてとてもできないと思うからです。

 とはいえ、当時の私は子どもをまともにかわいがってないんじゃないかと

随分苦しみました。

一人の人間を産み育てるのはとても重いなとも感じましたが、そんな私をわざわざ

選んで産まれてくる子どもは懐が深いのかもしれません。