40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

妊娠から出産まで-4

入院したら、同じフロア以外歩くことを禁止されました。

そういわれても暇で暇で狂いそうなので、こっそり売店に行くこともありました。

一日が長くてどうにかなりそうでした!

子どもの名づけについては妊娠6か月からいろいろ考えていましたが、ついに

出産の日を迎えても決まりませんでした。画数とかも重要だと思っていましたし、

何故かどの名前も私も旦那さんもピンと来ていませんでした。

名前のことでも姑とひと悶着ありましたが、旦那さんがうまくまとめてくれました。

今思えば、産後怒涛の育児生活が待ち受けているとか、いろいろと情報を集めたり

育児本なんかも目を通しておけばよかった~と悔やまれます。

入院して1週間も経たないうちに、「羊水がどんどん減ってきているので出産

予定日を変更しましょう」と言われました。

当初、4月の20日以降だった予定日が1週間近く早くなりました。

その後2日ほどしたら「羊水がこれ以上減るとお腹の赤ちゃんが危険な状態に

なるので緊急帝王切開します」と言われました。手術の予定日は2日後となりました。

私は心の準備がまだできていませんでしたし、お腹を切られることに今更ながら

すっかり怖気づいてしまいました!

半ばパニックになって親や友達に電話してみたりしました。けれど不安はどんどん

大きくなりました。

母はそんな私を見て「ガタガタ言っても状況は変わらないのにバカじゃないの?」

と言い放ちました。でもネットで書き込みなんか見る度に本当に怖くなってしまい、

前日の夜はあまり寝られませんでした。

いよいよ手術当日を迎えました。生まれてくる赤ちゃんは自然分娩ではないので

かなりストレスを抱えるとネットでの記事を見つけました。

(自分で生まれる日を決められないんだもんね。悔しいよね)そう思ったものの、

どうしようもありません。

お腹の赤ちゃんに「ポコちゃん、今日ねママのお腹を切って生まれることに

なったから、びっくりしないでね。ママ生まれてくるの待ってるよ」と何度も

声かけしました。

 

そして、両家両親と旦那さんが集まったところでいよいよ分娩室に入ることに

なりました。

局部麻酔をかけられましたが、怖くて怖くてガタガタ震えていたのを覚えて

います。

先生方が入って来れていよいよ帝王切開が始まりました。

痛みは感じられないものの、メスでお腹を切られる感覚ははっきり伝わりました。

先生達は世間話をしてリラックスして手術されていたので、私もだんだん緊張が

溶けてきました。しかし、一番深い場所にメスを入れられた時は痛くて涙が出ました。

付き添って下さっていた麻酔科の先生が「我慢してね、ここは一番深い場所で

なかなか麻酔が効かないんだよ。もうちょっとだからね」と言われました。

そして先生が「取り出しますね」と声をかけてくださり、赤ちゃんを取り出しました。

「オギャー」という産声を上げてわが子が取り出されました。

もうなんともいえない感動が伝って泣いて泣いて泣きました。自分がお腹を切られて

いることなんてすっかりどうでもよくなりました。

愛しいわが子だと思いました。こんなかわいい声して泣くんだな。そう思いました。

それから間もなくして私の目の前に連れてきてくれました。

お腹の赤ちゃんは私が想像していたよりもずっとずっとかわいい赤ちゃんでした!

嗚咽が出るほど泣いていたので、「生まれてくれてありがとう」そう言うのが

精いっぱいでした。

16:21 わが子が生まれた瞬間でした。

「今から閉じていきますね」と先生の声に我にかえりました。自分がお腹を切られて

いることなど、なんでもないことのように感じました。

閉じてもらった後は強烈な寒気がして一日中ガタガタ震えていました。

自分の持病もあり、回復するまで相当な時間がかかりました。

この日は病に戻ってから一度赤ちゃんを抱っこして、その後は預かってくれました。

私は強烈な寒気がひどくてどうにもならない感じでした。

翌朝早速赤ちゃんが連れてこられましたが、そのまま置いて行かれました。

お腹を切って痛くてとてもじゃないけど起き上がれる状況ではありませんでしたが

(お母さんだもんな)そう思いましたが、異常な血圧の高さと、疲れがひどすぎて

具合が悪くてどうにかなりそうでした。

そんな中!朝一番に突然姑が友達を連れてやってきました。

入院患者へのお見舞いの開始時間なんか丸無視で、事前連絡もなしにいきなり!

もうぶったまげました。かわいい息子の子どもだからはやる気持ちはわかるけど、

私の具合の悪さなどお構いなしでドカドカ来たような感じでした。

旦那さんも母も後からきました。具合が悪くてしゃべることすらままならないので

そっとしてほしかったのが本音です。旦那も母も姑も私の具合の悪さにはあまり

ピンときておらず、赤ちゃんのことしか目に入ってないような感じでした。

この病院は母児同室が基本なので夕方事情を話すと、看護師さんもしぶしぶ

預かってくれました。

(値段が高くても初めから希望していた病院で出産するべきだったかなあ~

あそこなら内分泌専門の先生も何人もいるしな)とここで初めて後悔しました。

一人になっても気が高ぶっているのか寝れません。神経がピリピリしたようなそんな

興奮状態だったと思います。そして2時間経つと連れて来られ、看護師さんにサポート

をしてもらいながら、ミルクやおむつ替えが一日8回ほど続きました。

母乳を出すようトレーニングが始まりました。私は下垂体切除をしているので基本母乳

がでませんが、可能性がゼロではないとのことで子どもにミルクを与える前に一度

乳首を吸わせることが義務づけられました。

赤ちゃんは全然足りない量のミルクからスタートするので、常にお腹を空かせて

怒って泣いていました。

そんな状況で出ない母乳を吸わせないといけないのでますます怒って泣くんです。

泣きそうになりながらも決められた時間は守って乳首を吸わせました。

それからミルクを与えると怒りながら狂ったようにミルクを吸いました。

出産3日目からは自分でトイレに起きて行って、おむつ替えからミルクを作る

ことまで義務づけられました。

 

つづく