40代主婦の徒然日記

日々の子育てのこと、感じたことなどを色々と発信したいと思います。

子どもの睡眠について

うちの娘も10歳になりました。今小学4年生です。

本当にこれまで早かった~!地域柄もあるのかもしれないけど、学校のクラスの半数は塾に通っている模様。

流されやすい娘は(私も塾に行きたい!)と言っています。

お友達が皆中学受験するので自分もしたいと話しているんですが、学校の授業や宿題を日々こなしていくだけでも精いっぱいなのにこれ以上の勉強にはついていけないのではないか?と思って今はまだ塾には入れていません。

だけど、本当に中学受験をするのであれば5年生になって塾通いさせていて間に合うのか本当に不安です。

我が家では家庭の決まりという決まりはないんだけど、4歳になってから早く寝せることだけは徹底しています。

以前読んだ脳科学の本にも書いてあったんだけど、子どもの成長にとっては睡眠時間より就寝時間が本当に大事だそうです。

それまで知らなかった時期は私と一緒か少し早い時間に寝せていたのを早く寝せることにシフトチェンジしました。

今はどんなに遅くても21時までにはベットに入ってもらっています。

なかなか寝付きが悪いので結局睡眠時間は8時間ちょっとしかない日が多いのだけどね。。。

そんな感じだから宿題もお風呂もごはんも「急げ急げ!」って追立てるような生活スタイルになっています(本当これでいいのかずっと疑問)

今の状態でとてもじゃないけど、塾通いは厳しいなと思います。

何を優先に考えたらいいのか。。。本当に悩みますが私は子どもの健康がやはり一番かなと考えるので、今は受験は後回しになっています。

夜を早く寝せることが毎日の目標になっているので、授業のフォローなんかできていなくて、算数嫌いの娘のテストの結果を見て愕然とし、最近ほんの少し早く起こして授業の復習だけは一緒にすることにしました。

復習してもなかなか理解できていない所は夏休みにみっちり復習するしかないかなと思っています。

子育ては正解がないからずっと試行錯誤だし、迷って悩んで信念を持っていてもすぐに揺らいでしまう。本当に意志薄弱なダメなママだなあと思うけど、ずっと自分を責めていても仕方ないので(いやいや私なりに頑張っているじゃないか)と思うことにしています。

 

仕事探し

3年前に引っ越してきて家賃の高さからずっと専業主婦だった私はようやく働くことを決意しました。

私は元来そそっかしいところや飽きっぽい性格も手伝って壊滅的に事務の仕事ができない!

にも関わらず独身時代は事務の仕事に従事することが多かったのは持病を持っていたから。

よく仕事中トイレに行く度に窓から見える空を見てため息をつくことがあったなあ。毎日ルーティンが続くことが嫌で逃げ出したくなったりして、ついにアパレル業の販売と営業の仕事に転職したけど、人間関係やハードな仕事に体調を崩したりして辞めてしまいしばらくは(私は社会不適合者なんだ)と自分を立て直すことができずにいました。

身体のことは抜きにして仕事だけを考えるととても自分に合っていたので、やはり仕事の適性というものはあるんだと気づけたことはよかったのかもしれません。

それからまた事務の仕事に就いたけれど、やっぱり建物の中でじっと座って過ごすことや、伝票処理やデータ入力で派手な間違いが多発する度に落ち込む日々でした。

口には出さないけど、職場の同僚も取引先の担当者も(またおまえか・・・)ってきっと思ってるんだろうな。とか、人間関係も最悪でした。もう本当につらくてメンタルで初めて休職することに。本当に自分の豆腐並みのメンタルにも随分落ち込みました。

社会不適合者なんだ。。。と毎日布団被って寝ていました。無気力で何もできない自分なんかこの世にいない方がいいんだ。なんて本気で考えてたけど、救ってくれたのは夫でした。夫が居なかったらどうなってたのかな。

私は夫と子どもに救われていたんです。いつも悪態ばかりついてるけど、今更ブログを書きながら気づいてしまいました。

自己中なんですね。これもこうやってブログを書きながら気づいてしまったことです。

夫や子どもの世話が大変でイライラするなんて口が裂けても言っちゃいけないなと今更思います。

 

コロナ禍でずいぶん働き方も変わりました。

今年の春から月に何度かパートもしています。

サービス業のためやっぱり身体的に応えます。だから今またあの嫌いな事務の仕事を探しています。でも今度は選択肢も増えて自宅で仕事もできる時代になってるんです!

今その在宅ワークか、週3日の事務パートかどちらか決まれば働こうと思います。

単調なことが嫌いな私がどこまで務まるのか不安だけど、子どもに習い事させてやりたいからがんばろうと思います。

子どもも周りが習い事をいっぱいしているのに、必死で我慢してたんです。今年の春になってようやくみんなみたいに習い事ができる!と喜々として通っています。

随分我慢させてたんです。親としては本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

スピ体験

先日義母の四十九日がありました。

コロナ禍の中飛行機に乗って帰省して参加するのも躊躇したので、旦那の姪っ子に

ズームを起動してもらい、ライブ中継して自宅で参加することになりました。

義母の骨は生前より好意にしていたお寺の納骨堂へ納めることになったので、四十九日

もお寺でお願いすることになりました。

ズームは旦那さんと子どもだけが映ってお寺にいる旦那さんの兄妹達とやり取りできる

ようにし、私は映らない場所で静かに参加していたのですが、お経が始まって間もなく

してから義姉の声が聞こえてきました。

私は映りたくなかったので画面をのぞき込むことはしなかったのでよくわからなかった

んだけど、一緒に泣きながらお経を唱えてるんだろうなと思ってました。

(旦那さんも私と同じ感じで気にも留めてなかったようです)

ところが、四十九日も無事終わった夜に旦那と義姉と電話していて終わった直後に

私の所へ来て衝撃の話がありました!

 

姉: 昼間お寺の住職さんがお経をあげて下さっていた時に、母が私の中に入ってきた  

   のよ!

   そして「私のためにみんな集まってきてくれてありがとう!」と私の口が勝手に

   しゃべりだしたんだよ!

   私が心の中で(お母さん、もっと生きたかったでしょう?)と思ったら、「うう

   ん、そんなことはないよ。これでよかったと思っているのよ」って

私の口が喋りだしたんだよ!

 ・・・のけぞりました!

お経の時に義姉が喋っていたことはお経とかではなかったのです!義母が義姉に乗り移って話してたんです!

義母は死に際に誰にも会えませんでしたので、どうしてもお礼やお別れが言いたかった

んだろうなと思います。

人は亡くなると大体四十九日を目処に成仏すると本で見たことがあるので、

最後にみんなにお礼を言って住職さんのお経で成仏されたんだなと思いました。

こんなことが本当に現実で起こるなんて、話を聞いてしばらく何も言えませんでした。

葬儀や四十九日は本人にとっても家族にとっても別れにけじめをつけるためには必要な

ことなんだなと痛感しました。

私はスピ系の本なんかたまに読んでいて、死後の世界はあるし、生まれ変わりも

あるんだろうなと信じているんだけど、自分の身近なところでこんなことが起こるとは

人生観も変わった気がします。きっと義母さんも天国で笑って見てくれてるかなあ~

いろいろあったけど、私にとってはいいお義母さんでした。ありがとうございました。

親戚付き合い

先月義母が亡くなりました。

コロナ禍とはいえ、県外でも母親の葬儀には行かせてあげなくちゃと思い、

次の日夫を送り出しました。

葬儀が終わり、お墓の話になりました。

生前義母が常々「死んだら納骨堂に入れて」と言われていたので、そのように

手続きをしていました。

納骨堂は管理費がかかるので、「一年に一回会った時でも二千円カンパして

くれないか」と夫は姉と妹に話をしたようです。

二人揃って「それぞれ旦那とも話し合いをしたが納骨堂は個人ではなく、集合(

他人同士合わせてしまうこと)でいいということになりました」と後日メールが

来たそうです。要するにビタ一文払いたくないとの宣言でした!

(へえ!!)感じ方は人それぞれだろうけど、私は正直引きました。

だって実の母のことだよね。。。私だったら何一つ出していないのだから普通に

二千円払うのになって思います。

葬儀代もなにも出していないんだし、お金が無いわけでもないんだかねえ。。。

それでも、遠方の私達に代わって四九日をしてくれるそうなのでありがたいのかも

しれません。一人っ子で遠方の方もいっぱいいるだろうからね。。

そして納骨堂について異議を唱える人が出てきました。夫の従妹です。

従妹は県外でお寺を継いでいることもあるのか納骨堂へ入れることには反対だった

ようで「ほんの一時でもいいからお墓に入れたら?」と言ってきたようです。

義父は末っ子だから本来なら別にお墓を作らなきゃいけないらしく、お墓に入れるなら

一度長男の墓に入れてもらう必要があるようです。

(いやいや、入れたり出したりイチイチお伺い立てるの面倒じゃん?!)ということで

そのままシカトするようです。

そして極めつけが四九日です!なんとこのコロナ禍で人を呼ぶようです。

それはさすがに異議を唱えました!

といっても、親族と近所の方々ですが、みんな見事に高齢です。

遠方の親族に関してはソッコー夫に電話をしてお断りしてもらいましたが、

近くの親族と、ご近所の方については義父が断固反対しているようです!

もう電話越しで何度も喧嘩しているのです!義父は普段ニュースなど見ないので

コロナ禍の状況にも疎く、「呼んだぐらいじゃコロナになんかならない!」の

一点張りだそうです。

ありえなーい!こんなご時世なのにありえない!!もうびっくりです。

明日義姉さんが義父さんと会う予定なので最終的にそこで四九日をどうするか

決めるようです。

ご近所の人もこんな状況だから中止にしてくれたらありがたいと思っているよな。

みんな高齢だし、万が一感染とかになったら。。。考えるだけでも怖いです。

 

 

夫婦喧嘩

しばらくブログを書くのはお休みにしていました。

東京ではコロナが深刻化していて自粛生活を続けていたけど、更に自粛が必要な

感じです。今感染したらまず入院できないし、本当に怖いです。

今日は朝っぱらから旦那さんと喧嘩しました。正月の元旦にも一戦しているので

今年に入って二回目の夫婦喧嘩となりました。

子どもの前で夫婦喧嘩をするのは百害あって一利なしと聞きます

頭ではわかっているが、本当にしょうもないことで時々喧嘩をしてしまう。

大体旦那さんは朝が弱いのか、喧嘩の勃発は朝が多い。

そして休日私はいつも朝寝坊をすることもあり、朝ごはんの時間が遅くなる。

もう母としては子どもに申し訳ないくらいの堕落ぶりです。

最短で準備できても8時過ぎてしまい、今日は8:30過ぎて準備をすることに。。

今普通に用意したら9:00近くなるし、昼ご飯が入らなくなって夜ごはんにも影響が

でるなと思った私は旦那と子どもに「時間も時間だし、朝は食パンと野菜だけも大丈夫?」と確認したうえで準備をしました。

それなのに、食卓についた旦那は開口一番「やきとりの缶詰ある?」と聞いて来た!

これを聞いた私は思わず「は??」となってしまった。

食パンになぜ焼き鳥の缶詰が必要なのか。。。第一組み合わせ的に変じゃないのか?

このおかずでは物足りないということなのか。。。私の頭の中はパニックになった。

大体いつも旦那さんは唐突に私の想像では及ばないことを言ってくる!そしていつも

私はオタオタしてしまう。

私の感覚では旦那は変人なのだ!!変人すぎて理解できないことが多い。

:「なんで焼き鳥なの?」

  「だって食パンだよ?おかしくない?」

旦那:「自分の価値観でなんでもかんでも決めつけて!」

   「自分はイチイチ私の価値観に合わせて物を食べないといけないのか!

    自分は私に対して同じような態度をとっているのか?

    自分はそんな態度で接したことはない」

:「私の感覚では理解できない」「もうついて行けない!!やってらんない!」

旦那:「こんなどうでもいいことで目くじら立てて!」

:「おかず一つで目くじら立ててるのは自分じゃん!!」

  「こんな小さなことでぐじゃぐじゃ言って信じられない!!」

これが私が焼き鳥の缶詰を出すまで続いた

私は自分の感覚に固執するところがあるのかもしれないが、こんな些細なことは

もう少し夫が奥さんに合わせてくれてもいいものではないのかと思う。

夫婦って夫が妻のやり方を受け入れるからこそ上手くいくものではないのか。。。

と私は思う。

私の周りの友達夫婦や、親戚のおじちゃん達を見ても旦那さんが料理を作ったり、

上手い具合に尻に敷かれている夫婦が多いのだ。

要するに旦那さんはどんな些細なことでも自分が思うことを押し通したいだけなのだ。

こんな小さなことでぎゃあぎゃあ言うのって、あまりにも尻の穴が小さい最低野郎だ!

子どもも同じごはんを食べているのに、自分一人だけ別の物を食べることにも憤りを

感じてしまう。

最終的には理由を話して謝ってもらったけど、内心イライラです。

子どもはそんな私達のやり取りを聞いて可哀そうに固まっていました。

ああ、またやってしまった。。そう思うけど、今日はなんかムカムカが治まらない。

こんな時は世の中の奥さんはどうやって発散しているのか聞いてみたいです。

妊娠から出産まで-5

出産前に主治医と体調が戻るまで最大2週間の入院を検討してもらうことになっていました。

いざ出産すると、管轄が違ってくるからか主治医は積極的には関わってはくれず、

しかし血圧の異常な高さは続きました。

普段私の血圧は上が90ぐらいの低血圧ですが、この時は160ほどになっており、

看護師さんが「もう一回計測させてください」と毎度のように言われていました。

こんなにしんどいのに寝られない日々は続き、切られたお腹も痛いまま

赤ちゃんは2時間おきにミルクを与えのも本当にきつくて大変でした。

夜預かってもらうのも罪悪感でいっぱいでしたが、赤ちゃんがそばにいると気になって

気になってどうしようもなかったのでお願いしました。

子どもの誕生は本当にうれしいことだったのですが、自分の体調がここまで悪くなる

なんて思いもしなかったし、出産したらいきなりお母さんになる感覚に精神的について

いけてなかった感じです。

気になる母乳も初めから全く出ず、初乳さえ飲ませてあげられなかったことに対して

非常に申し訳なく思ったし、つらかったです。

実家に退院してしばらくお世話になる予定でしたが、実母にあまり頼れない感覚が

ずっとあったので、産後ゆっくりできないことなどを思うとこのまま入院していた方が

よいのか、早めに切り上げて退院した方がよいのか悩みました。

主治医は「一度お母さんに泊まってもらってください」と言われました。

母はもともと病弱で腰が重いタイプだったので、この話をしたときにすごく憤慨して

ましたが、しぶしぶ承諾してくれ、出産後5日目か6日目に一泊泊まってくれました。

いざ母が来ると、やっぱりいろいろ気を使うことも多くてゆっくりできない自分が

いましたが、赤ちゃんも一緒に3人で過ごすのは非常に心強かったです!

これは私も自分でびっくりでした。

(私もこうやって赤ちゃんだったんだな。こうやっておっぱいもらってたんだ。)

そう思うと涙が止まらなくなりました。私も口答えしたりしてたけど、生まれた時は

こんな無力で世話をしてもらわないと生きていけない存在だったんだ。としみじみ

感謝の気持ちも沸きました。

母が帰宅したあと、主治医に退院を早めてもらうことにしました。実家でゆっくり

させてもらえるのかわからないけど、とにかく帰ろうとおもいました。

子どもの名前は入院中も決まらず、旦那さんはついに名付けのプロに頼むと言いだしました。

私も名前の画数の重要性はなんとなく感じていたので、二つ返事でOKしました。

生まれた時2350グラムで保育器に入らないぎりぎりの体重だったポコちゃんも

ミルクも少しづつしか与えられなかったので一時的に減ったものの、退院する頃には

生まれた時より少し増えました。

手も足も小枝のように小さく細かったんだけど、よくバタバタ動いてとても元気な

ポコちゃん。五体満足で生まれてくるか本当に心配しましたが、どこも異常なくて

本当によかったです。

 

子どもを妊娠して出産するのはとても大変で尊いものだと思います。

私は出産するまでこんなに大変だとは露にも思いませんでした。

妊娠中にいろいろ心配なことが起こったり、私は38歳の高齢出産だったので

生まれてくる子どもがダウン症だったり、障害があったら・・・ととても心配

しました。

もし、事前検査でダウン症だったとしても産んで育てようと決めていたので検査は

受けませんでしたが生まれてくるまではやはり心配でした。

帝王切開をすることが決まり、当時の私のように不安を抱えていらっしゃる方もいるかもしれません。

手術は本当に恐怖だと思います。だけど不思議なことにわが子の産声を聞いたら

そんな恐怖はどこかへ消え去りますよ。

いざ出産したら自然と腹もくくれるものなので大丈夫ですよ。と伝えたいです。

母乳がでなくて苦しんでいるお母さんもいらっしゃると思います。

私も初乳から出なかったので、本当に苦しみましたが子どもは小さいながらも

すくすく育ってくれるので大丈夫ですよ。と伝えたいです。

高齢出産や基礎疾患をお持ちの方で産後体調が悪い方もいらっしゃると思います。

状況が許されるならば、一人でぜんぶ抱えないで周りにいっぱい頼られたらいいな

と思います。

いくら生まれて来た子どもが可愛くても、自分の身体がどうにもならなかったら

可愛がることなんてとてもできないと思うからです。

 とはいえ、当時の私は子どもをまともにかわいがってないんじゃないかと

随分苦しみました。

一人の人間を産み育てるのはとても重いなとも感じましたが、そんな私をわざわざ

選んで産まれてくる子どもは懐が深いのかもしれません。

妊娠から出産まで-4

入院したら、同じフロア以外歩くことを禁止されました。

そういわれても暇で暇で狂いそうなので、こっそり売店に行くこともありました。

一日が長くてどうにかなりそうでした!

子どもの名づけについては妊娠6か月からいろいろ考えていましたが、ついに

出産の日を迎えても決まりませんでした。画数とかも重要だと思っていましたし、

何故かどの名前も私も旦那さんもピンと来ていませんでした。

名前のことでも姑とひと悶着ありましたが、旦那さんがうまくまとめてくれました。

今思えば、産後怒涛の育児生活が待ち受けているとか、いろいろと情報を集めたり

育児本なんかも目を通しておけばよかった~と悔やまれます。

入院して1週間も経たないうちに、「羊水がどんどん減ってきているので出産

予定日を変更しましょう」と言われました。

当初、4月の20日以降だった予定日が1週間近く早くなりました。

その後2日ほどしたら「羊水がこれ以上減るとお腹の赤ちゃんが危険な状態に

なるので緊急帝王切開します」と言われました。手術の予定日は2日後となりました。

私は心の準備がまだできていませんでしたし、お腹を切られることに今更ながら

すっかり怖気づいてしまいました!

半ばパニックになって親や友達に電話してみたりしました。けれど不安はどんどん

大きくなりました。

母はそんな私を見て「ガタガタ言っても状況は変わらないのにバカじゃないの?」

と言い放ちました。でもネットで書き込みなんか見る度に本当に怖くなってしまい、

前日の夜はあまり寝られませんでした。

いよいよ手術当日を迎えました。生まれてくる赤ちゃんは自然分娩ではないので

かなりストレスを抱えるとネットでの記事を見つけました。

(自分で生まれる日を決められないんだもんね。悔しいよね)そう思ったものの、

どうしようもありません。

お腹の赤ちゃんに「ポコちゃん、今日ねママのお腹を切って生まれることに

なったから、びっくりしないでね。ママ生まれてくるの待ってるよ」と何度も

声かけしました。

 

そして、両家両親と旦那さんが集まったところでいよいよ分娩室に入ることに

なりました。

局部麻酔をかけられましたが、怖くて怖くてガタガタ震えていたのを覚えて

います。

先生方が入って来れていよいよ帝王切開が始まりました。

痛みは感じられないものの、メスでお腹を切られる感覚ははっきり伝わりました。

先生達は世間話をしてリラックスして手術されていたので、私もだんだん緊張が

溶けてきました。しかし、一番深い場所にメスを入れられた時は痛くて涙が出ました。

付き添って下さっていた麻酔科の先生が「我慢してね、ここは一番深い場所で

なかなか麻酔が効かないんだよ。もうちょっとだからね」と言われました。

そして先生が「取り出しますね」と声をかけてくださり、赤ちゃんを取り出しました。

「オギャー」という産声を上げてわが子が取り出されました。

もうなんともいえない感動が伝って泣いて泣いて泣きました。自分がお腹を切られて

いることなんてすっかりどうでもよくなりました。

愛しいわが子だと思いました。こんなかわいい声して泣くんだな。そう思いました。

それから間もなくして私の目の前に連れてきてくれました。

お腹の赤ちゃんは私が想像していたよりもずっとずっとかわいい赤ちゃんでした!

嗚咽が出るほど泣いていたので、「生まれてくれてありがとう」そう言うのが

精いっぱいでした。

16:21 わが子が生まれた瞬間でした。

「今から閉じていきますね」と先生の声に我にかえりました。自分がお腹を切られて

いることなど、なんでもないことのように感じました。

閉じてもらった後は強烈な寒気がして一日中ガタガタ震えていました。

自分の持病もあり、回復するまで相当な時間がかかりました。

この日は病に戻ってから一度赤ちゃんを抱っこして、その後は預かってくれました。

私は強烈な寒気がひどくてどうにもならない感じでした。

翌朝早速赤ちゃんが連れてこられましたが、そのまま置いて行かれました。

お腹を切って痛くてとてもじゃないけど起き上がれる状況ではありませんでしたが

(お母さんだもんな)そう思いましたが、異常な血圧の高さと、疲れがひどすぎて

具合が悪くてどうにかなりそうでした。

そんな中!朝一番に突然姑が友達を連れてやってきました。

入院患者へのお見舞いの開始時間なんか丸無視で、事前連絡もなしにいきなり!

もうぶったまげました。かわいい息子の子どもだからはやる気持ちはわかるけど、

私の具合の悪さなどお構いなしでドカドカ来たような感じでした。

旦那さんも母も後からきました。具合が悪くてしゃべることすらままならないので

そっとしてほしかったのが本音です。旦那も母も姑も私の具合の悪さにはあまり

ピンときておらず、赤ちゃんのことしか目に入ってないような感じでした。

この病院は母児同室が基本なので夕方事情を話すと、看護師さんもしぶしぶ

預かってくれました。

(値段が高くても初めから希望していた病院で出産するべきだったかなあ~

あそこなら内分泌専門の先生も何人もいるしな)とここで初めて後悔しました。

一人になっても気が高ぶっているのか寝れません。神経がピリピリしたようなそんな

興奮状態だったと思います。そして2時間経つと連れて来られ、看護師さんにサポート

をしてもらいながら、ミルクやおむつ替えが一日8回ほど続きました。

母乳を出すようトレーニングが始まりました。私は下垂体切除をしているので基本母乳

がでませんが、可能性がゼロではないとのことで子どもにミルクを与える前に一度

乳首を吸わせることが義務づけられました。

赤ちゃんは全然足りない量のミルクからスタートするので、常にお腹を空かせて

怒って泣いていました。

そんな状況で出ない母乳を吸わせないといけないのでますます怒って泣くんです。

泣きそうになりながらも決められた時間は守って乳首を吸わせました。

それからミルクを与えると怒りながら狂ったようにミルクを吸いました。

出産3日目からは自分でトイレに起きて行って、おむつ替えからミルクを作る

ことまで義務づけられました。

 

つづく